ホクレア号

皆さんは「ホクレア号」をご存知だろうか?
この大海原を昔の人々は太陽や、星や、風や、海流を人間の目と、耳と、肌などの感覚機能をフルに使って小さな船で島から島へと渡り歩いていたそうです。そんな原始的な、でもきっと確実な航海技術を後世に残していこうということで帆船「ホクレア号」が建造されたそうです。この建造されてから何度かテスト航海をしていますが、初めて日本へ向かう航海が今年の1月ハワイから出航して現在ミクロネシアを通過誌ながら続けられているそうです。去年の話だとグアムやサイパンにも立ち寄ると聞いてましたが、サイパンの遥か南を通過しパラオやヤップを通って北上して日本に向かうそうです。私自身、別に船の航海や何かにロマンを感じるわけではありませんが、昔の人たちが自分達の持ちうるすべてを使ってあらゆることを可能にしていたことに感動を覚えます。だってそう思いませんか?普通の人(私みたいな)は星や太陽を見たとしても大海原の真っ只中でポツンと船に揺られていてもどちらへ行ったらいいのかわかりませんよね。太陽があれば東西南北はある程度わかるかも知れませんが・・・でもどこまで正確に把握できることやら。

さて、本題はこれから。人間にはやはり昔から生活する上で身につけた知恵とかがあるはずです。ゴミにしても昔は人口が少なかったとしてもゴミは出ていたはず。日本史とかでも貝塚とか聞きますが、これはある種ゴミの山のようなものなのでしょう。貝塚自体は形として残ってはいるもののそれが人に害を及ぼすこともなく、地中を汚染することもなく静かに埋まっているだけです。今の時代は便利なものを作れば作るほどゴミとなって残って、汚染されていくような感じです。缶や瓶、プラスチックの容器などある程度はリサイクルは出来るけど基本的には使い捨てのような便利品が増え続けています。うちの父が田舎者だったこともあるし、自分自身が1964年生まれということもあるけど、小学校のときに父が遠足に行くときにおにぎりを竹の皮の包みでもっていかせようとして恥ずかしかったのを覚えています。あの頃はプラスチックの仮面ライダーやウルトラマンなどのお弁当箱が流行だったのに、自分の持っていくお弁当はアルマイト?のそのままストーブで暖めても大丈夫なようなお弁当箱か竹の皮包みのおにぎり弁当でした。竹の皮でおにぎりを包んだのはそれなりに理由があります。「通気性に優れていたこと」「殺菌作用がありもちがよかった」ことです。さらに今こうして思うと食べた後、フォイルなどゴミとなるものより、竹の皮のようにどこかに捨てられてもいつかは自然に帰るようなものの方が全然いいとつくづく思います。今でもサイパンでのパーティーとかへ行くとバナナの葉を綺麗に洗ってその上に食事を出したりする人たちがいますが、そのようなちょっとした気遣いが今後の地球を変えていくのではないかと思います。